136
「頭辨の御許より」とて、主殿司、繪などやうなる物を、白き色紙につつみて、梅の花のいみじく咲きたるにつけてもてきたり。繪にやあらんと急ぎ取り入れて見れば、餠餤といふものを、二つ竝べてつつみたるなり。添へたるたて文に、解文のやうに書きて「進上餠餤一つつみ、例によりて進上如件、少納言殿に」とて、月日かきて、「任那成行」とて、奧に、「この男はみづから參らんとするを、晝はかたちわろしとてまゐらぬなり」と、いみじくをかしげに書き給ひたり。御前に參りて御覽ぜさすれば、「めでたくもかかれたるかな。をかしうしたり」など譽めさせ給ひて、御文はとらせ給ひつ。「返事はいかがすべからん。この餠餤もてくるには、物などやとらすらん。知りたる人もがな」といふを聞しめして、「惟仲が聲しつる、呼びて問へ」との給はすれば、はしに出でて、「左大辨にもの聞えん」と、侍していはすれば、いとよくうるはしうてきたり。「あらず、私事なり。もしこの辨少納言などのもとに、かかる物もてきたる下部などには、することやある」と問へば、「さる事も侍らず、唯とどめてくひ侍る。何しに問はせ給ふ。もし上官のうちにて、えさせ給へるか」といへば、「いかがは」と答ふ。唯返しをいみじう赤き薄樣に、「みづから持てまうでこぬ下部は、いとれいたうなりとなん見ゆる」とて、めでたき紅梅につけて奉るを、すなはちおはしまして、「下部さぶらふ」との給へば、出でたるに、「さやうのものぞ、歌よみして遣せ給へると思ひつるに、美々しくもいひたりつるかな。女少しわれはと思ひたるは、歌よみがましくぞある。さらぬこそ語ひよけれ。まろなどにさる事いはん人は、かへりて無心ならんかし」との給ふ。「則光、成康など、笑ひて止みにし事を、殿の前に人々いと多かりけるに、語りまをしたまひければ、いとよく言ひたるとなんの給はせし」と人の語りし。これこそ見苦しき我ぼめどもなりかし。
137
「などてつかさえはじめたる六位笏に、職の御曹司のたつみの隅の築地の板をせしぞ、更に西東をもせよかし、又五位もせよかし」などいふことを言ひ出でて、「あぢきなき事どもを。衣などにすずろなる名どもをつけけん、いとあやし。衣の名に、ほそながをばさもいひつべし。なぞ汗衫は、しりながといへかし。男の童の著るやうに。なぞからぎぬは、みじかきぎぬとこそいはめ。されどそれは、唐土の人の著るものなれば。うへのきぬの袴、さいふべし。下襲もよし。また大口、長さよりは口ひろければ。袴いとあぢきなし。指貫もなぞ、あしぎぬ、もしはさやうのものは、足ぶくろなどもいへかし」など、萬の事をいひののしるを、「いであなかしがまし、今はいはじ、寐給ひね」といふ答に、「夜居の僧のいとわろからん、夜ひと夜こそ猶のたまはめ」と、にくしと思ひたる聲ざまにていひ出でたりしこそ、をかしかりしにそへて驚かれにしか。
138
故殿の御ために、月ごとの十日、御經佛供養せさせ給ひしを、九月十日、職の御曹司にてせさせ給ふ。上達部、殿上人いとおほかり。清範講師にて、説く事どもいとかなしければ、殊に物のあはれふかかるまじき若き人も、皆泣くめり。終てて酒のみ詩誦じなどするに、頭中將齊信の君、月と秋と期して身いづくにかといふ事をうち出し給へりしかば、いみじうめでたし。いかでかは思ひいで給ひけん。おはします所に分け參るほどに、立ち出でさせ給ひて、「めでたしな。いみじうけうの事にいひたる事にこそあれ」とのたまはすれば、「それを啓しにとて、物も見さして參り侍りつるなり。猶いとめでたくこそ思ひはべれ」と聞えさすれば、「ましてさ覺ゆらん」と仰せらるる。わざと呼びもいで、おのづからあふ所にては、「などかまろを、まほに近くは語ひ給はぬ。さすがににくしなど思ひたるさまにはあらずと知りたるを、いと怪しくなん。さばかり年ごろになりぬる得意の、疎くてやむはなし。殿上などに明暮なきをりもあらば、何事をかおもひでにせん」との給へば、「さらなり。かたかるべき事にもあらぬを、さもあらん後には、え譽め奉らざらんが口惜しきなり。うへの御前などにて、役とあつまりて譽め聞ゆるに、いかでか。ただおぼせかし。かたはらいたく、心の鬼いで來て、言ひにくく侍りなんものを」といへば、笑ひて、「などさる人しも、他目より外に、誉むるたぐひ多かり」との給ふ。「それがにくからずばこそあらめ。男も女も、けぢかき人をかたひき、思ふ人のいささかあしき事をいへば、腹だちなどするが、わびしう覺ゆるなり」といへば、「たのもしげなの事や」との給ふもをかし。
139
頭辨の職にまゐり給ひて、物語などし給ふに、夜いと更けぬ。「明日御物忌なるにこもるべければ、丑になりなば惡しかりなん」とてまゐり給ひぬ。つとめて、藏人所の紙屋紙ひきかさねて、「後のあしたは殘り多かる心地なんする。夜を通して昔物語も聞え明さんとせしを、鷄の聲に催されて」と、いといみじう清げに、裏表に事多く書き給へる、いとめでたし。御返に、「いと夜深く侍りける鷄のこゑは、孟嘗君のにや」ときこえたれば、たちかへり、「孟嘗君の鷄は、函谷關を開きて、三千の客僅にされりといふは、逢阪の關の事なり」とあれば、
夜をこめて鳥のそらねははかるとも世にあふ阪の關はゆるさじ
心かしこき關守侍るめりと聞ゆ。立ちかへり、
逢阪は人こえやすき關なればとりも鳴かねどあけてまつとか
とありし文どもを、はじめのは、僧都の君の額をさへつきて取り給ひてき。後々のは御前にて、「さて逢阪の歌はよみへされて、返しもせずなりにたる、いとわろし」と笑はせ給ふ。「さてその文は、殿上人皆見てしは」との給へば、實に覺しけりとは、これにてこそ知りぬれ。「めでたき事など人のいひ傳へぬは、かひなき業ぞかし。また見苦しければ、御文はいみじく隱して、人につゆ見せ侍らぬ志のほどをくらぶるに、ひとしうこそは」といへば、「かう物思ひしりていふこそ、なほ人々には似ず思へど、思ひ隈なくあしうしたりなど、例の女のやうにいはんとこそ思ひつるに」とて、いみじう笑ひ給ふ。「こはなぞ、よろこびをこそ聞えめ」などいふ。「まろが文をかくし給ひける、又猶うれしきことなりいかに心憂くつらからまし。今よりもなほ頼み聞えん」などの給ひて、後に經房の中將「頭辨はいみじう譽め給ふとは知りたりや。一日の文のついでに、ありし事など語り給ふ。思ふ人々の譽めらるるは、いみじく嬉しく」など、まめやかにの給ふもをかし。「うれしきことも二つにてこそ。かの譽めたまふなるに、また思ふ人の中に侍りけるを」などいへば、「それはめづらしう、今の事のやうにもよろこび給ふかな」との給ふ。
140
五月ばかりに、月もなくいとくらき夜、「女房やさぶらひ給ふ」と、こゑ〴〵していへば、「出でて見よ。例ならずいふは誰そ」と仰せらるれば、出でて、「こは誰そ。おどろ〳〵しうきはやかなるは」といふに、物もいはで、御簾をもたげて、そよろとさし入るるは、呉竹の枝なりけり。「おい、このきみにこそ」といひたるを聞きて、「いざや、これ殿上に行きて語らん」とて、中將、新中將、六位どもなどありけるはいぬ。頭辨はとまり給ひて、「怪しくいぬるものどもかな。御前の竹ををりて歌よまんとしつるを、職にまゐりて、同じくば、女房など呼び出ててをと言ひてきつるを、呉竹の名をいと疾くいはれて、いぬるこそをかしけれ。誰が教をしりて、人のなべて知るべくもあらぬ事をばいふぞ」などのたまへば、「竹の名とも知らぬものを、なまねたしとや思しつらん」といへば、「實ぞえ知らじ」などの給ふ。まめごとなど言ひ合せて居給へるに、この君と稱すといふ詩を誦して、又集り來れば、「殿上にていひ期しつる本意もなくては、などかへり給ひぬるぞ。いと怪しくこそありつれ」との給へば、「さる事には何の答をかせん。いとなか〳〵ならん。殿上にても言ひののしりつれば、うへも聞しめして、興ぜさせ給ひつる」とかたる。辨もろともに、かへす〴〵同じ事を誦じて、いとをかしがれば、人々出でて見る。とりどりに物ども言ひかはして歸るとて、なほ同じ事を諸聲に誦じて、左衞門の陣に入るまで聞ゆ。翌朝、いと疾く、少納言の命婦といふが御文まゐらせたるに、この事を啓したれば、しもなるを召して、「さる事やありし」と問はせ給へば、「知らず、何とも思はでいひ出で侍りしを、行成の朝臣のとりなしたるにや侍らん」と申せば、「とりなすとても」と打ち笑ませ給へり。誰が事をも、殿上人譽めけりと聞かせ給ふをば、さ言はるる人をよろこばせ給ふもをかし。



