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内裏は五節のほどこそすずろにただならで、見る人もをかしう覺ゆれ。主殿司などの、いろ〳〵の細工を、物忌のやうにて、彩色つけたるなども、めづらしく見ゆ。清涼殿のそり橋に、もとゆひの村濃いとけざやかにて出でたるも、さま〴〵につけてをかしうのみ、上雜仕童ども、いみじき色ふしと思ひたる、いとことわりなり。山藍日蔭など柳筥にいれて、冠したる男もてありく、いとをかしう見ゆ。殿上人の直衣ぬぎたれて、扇やなにやと拍子にして、「つかさまされとしきなみぞたつ」といふ歌をうたひて、局どもの前わたるほどはいみじく、添ひたちたらん人の心さわぎぬべしかし。まして颯と一度に笑ひなどしたる、いとおそろし。行事の藏人の掻練重、物よりことにきよらに見ゆ。褥など敷きたれど、なか〳〵えものぼりゐず。女房の出でたるさま譽めそしり、このごろは他事はなかンめり。帳臺の夜、行事の藏人いと嚴しうもてなして、かいつくろひ二人、童より他は入るまじとおさへて、面にくきまでいへば、殿上人など「猶これ一人ばかりは」などのたまふ。「うらやみあり。いかでか」などかたくいふに、宮の御かたの女房二十人ばかりおし凝りて、こと〴〵しういひたる藏人何ともせず、戸をおしあけてさざめき入れば、あきれて「いとこはすぢなき世かな」とて立てるもをかし。それにつきてぞ、かしづきども皆入る。けしきいとねたげなり。うへもおはしまして、いとをかしと御覽じおはしますらんかし。童舞の夜はいとをかし。燈臺に向ひたる顏ども、いとらうたげにをかしかりき。
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無名といふ琵琶の御琴を、うへの持てわたらせ給へるを、見などして、掻き鳴しなどすと言へば、ひくにはあらず、緒などを手まさぐりにして、「これが名よ、いかにとかや」など聞えさするに、「ただいとはかなく名もなし」との給はせたるは、なほいとめでたくこそ覺えしか。
淑景舎などわたり給ひて、御物語のついでに、「まろがもとにいとをかしげなる笙の笛こそあれ。故殿の得させ給へり」との給ふを、僧都の君の「それは隆圓にたうべ。おのれが許にめでたき琴侍り、それにかへさせ給へ」と申し給ふを、ききも入れ給はで、猶他事をのたまふに、答させ奉らんと數多たび聞え給ふに、なほ物のたまはねば、宮の御前の「否かへじとおぼいたるものを」との給はせけるが、いみじうをかしき事ぞ限なき。この御笛の名を僧都の君もえ知り給はざりければ、ただうらめしとぞおぼしたンめる。これは職の御曹司におはしましし時の事なり。うへの御前に、いなかへじといふ御笛のさふらふなり。御前に侍ふ者どもは、琴も笛も皆めづらしき名つきてこそあれ。琵琶は玄象、牧馬、井上、渭橋、無名など、また和琴なども、朽目、鹽竈、二貫などぞ聞ゆる。水龍、小水龍、宇多法師、釘打、葉二、なにくれと多く聞えしかど忘れにけり。宜陽殿の一の棚にといふことぐさは、頭中將こそしたまひしか。
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うへの御局の御簾の前にて、殿上人日ひと日、琴、笛吹き遊びくらして、まかで別るるほど、まだ格子をまゐらぬに、おほとなぶらをさし出でたれば、戸の開きたるがあらはなれば、琵琶の御琴をただざまにもたせ給へり。紅の御衣のいふも世の常なる、袿又はりたるも數多たてまつりて、いと黒くつややかなる御琵琶に、御衣の袖をうちかけて、捕へさせ給へるめでたきに、そばより御額のほど白くけざやかにて、僅に見えさせ給へるは、譬ふべき方なくめでたし。近く居給へる人にさし寄りて、「半かくしたりけんも、えかうはあらざりけんかし。それはただ人にこそありけめ」といふを聞きて、心地もなきを、わりなく分け入りて啓すれば、笑はせ給ひて、「われは知りたりや」となん仰せらるると傳ふるもをかし。
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御乳母の大輔の、けふ日向へくだるに、賜はする扇どもの中に、片つかたには、日いと花やかにさし出でて旅人のある所、井手の中將の館などいふさまいとをかしう書きて、今片つかたには、京のかた雨いみじう降りたるに、ながめたる人などかきたるに、
あかねさす日にむかひても思ひいでよ都は晴れぬながめすらんと
ことばに御手づから書かせ給ひし、あはれなりき。さる君をおき奉りて、遠くこそえいくまじけれ。
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ねたきもの
これよりやるも、人のいひたる返しも、書きて遣りつる後、文字一つ二つなど思ひなほしたる、頓の物ぬふに、縫ひはてつと思ひて針を拔きたれば、はやうしりを結ばざりけり。又かへさまに縫ひたるもいとねたし。
南の院におはします頃、西の對に殿のおはします方に宮もおはしませば、寢殿に集りゐて、さう〴〵しければ、ふれあそびをし、渡殿に集り居などしてあるに、「これ只今とみのものなり、誰も〳〵集りて、時かはさず縫ひて參らせよ」とて平縱の御衣を給はせたれば、南面に集り居て、御衣片身づつ、誰か疾く縫ひ出づると挑みつつ、近くも向はず縫ふさまもいと物狂ほし。命婦の乳母いと疾く縫ひはててうち置きつる。弓長のかたの御身を縫ひつるが、そむきざまなるを見つけず、とぢめもしあへず、惑ひ置きて立ちぬるに、御背合せんとすれば、早う違ひにけり。笑ひののしりて、「これ縫ひ直せ」といふを、「誰があしう縫ひたりと知りてか直さん、綾などならばこそ、裏を見ざらん縫ひたがへの人のげになほさめ。無紋の御衣なり。何をしるしにてか直す人誰かあらん。ただまだ縫ひ給はざらん人に直させよ」とて聞きも入れねば、「さいひてあらんや」とて、源少納言、新中納言など、いひ直し給ひし顏見やりて居たりしこそをかしかりしか。これはよさりのぼらせ給はんとて、「疾く縫ひたらん人を思ふと知らん」と仰せられしか。
見すまじき人に、外へ遣りたる文取り違へて持て行きたる、ねたし。「げに過ちてけり」とはいはで、口かたうあらがひたる、人目をだに思はずば、走りもうちつべし。おもしろき萩薄などを植ゑて見るほどに、長櫃もたるもの、鋤など提げて、ただほりに掘りていぬるこそ、佗しうねたかりけれ。よろしき人などのある折は、さもせぬものを、いみじう制すれど「唯すこし」などいひていぬる、いふがひなくねたし。受領などの來て無禮に物いひ、さりとて我をばいかがと思ひたるけはひに、いひ出でたる、いとねたげなり。見すまじき人の、文を引き取りて、庭におりて見たてる、いとわびしうねたく、追ひて行けど、簾の許にとまりて見るこそ、飛びも出でぬべき心地すれ。すずろなる事腹だちて、同じ所にも寢ず、身じくり出づるを、忍びて引きよすれど、わりなく心ことなれば、あまりになりて、人も「さはよかンなり」と怨じて、かいくぐみて臥しぬる後、いと寒き折などに、唯ひとへ衣ばかりにて、あやにくがりて、大かた皆人も寢たるに、さすがに起き居たらん怪しくて、夜の更くるままに、ねたく起きてぞいぬべかりけるなど思ひ臥したるに、奧にも外にも物うちなりなどして恐しければ、やをらまろび寄りて衣ひきあぐるに、虚寐したるこそいとねたけれ。「猶こそこはがり給はめ」などうちいひたるよ。



