枕草子: 201-205

201
ひきものは
琵琶。筝のこと。
しらべは
風香調。黄鐘調。蘇香の急。鶯のさへづりといふしらべ。相府蓮。
202
笛は
横笛いみじうをかし。遠うより聞ゆるが、やう近うなりゆくもをかし。近かりつるがはるかになりて、いとほのかに聞ゆるも、いとをかし。車にても徒歩にても馬にても、すべて懷にさし入れてもたるも、何とも見えず。さばかりをかしきものはなし。まして聞き知りたる調子など、いみじうめでたし。曉などに、忘れて枕のもとにありたるを見つけたるも、猶をかし。人の許より取りにおこせたるを、おし包みて、遣るも、ただ文のやうに見えたり。笙の笛は、月のあかきに、車などにて聞えたる、いみじうをかし。所せく、もてあつかひにくくぞ見ゆる。吹く顏やいかにぞ。それは横笛もふきなしありかし。篳篥は、いとむつかしう、秋の蟲をいはば、轡蟲などに似て、うたてけぢかく聞かまほしからず。ましてわろう吹きたるはいとにくきに、臨時の祭の日、いまだ御前には出ではてで、物の後にて、横笛をいみじう吹き立てたる、あなおもしろと聞くほどに、半ばかりより、うちそへて吹きのぼせたる程こそ、唯いみじう麗しき髮もたらん人も、皆立ちあがりぬべき心地ぞする。やう琴笛あはせて歩み出でたる、いみじうをかし。
203
見るものは
行幸。祭のかへさ。御賀茂詣。臨時の祭、空くもりて寒げなるに、雪少しうち散りて、插頭の花、青摺などにかかりたる、えもいはずをかし。太刀の鞘の、きはやかに黒うまだらにて、白く廣う見えたるに、半臂の緒のやうしたるやうにかかりたる。地摺袴の中より、氷かと驚くばかりなる打目など、すべていとめでたし。今少し多く渡らせまほしきに、使は必にくげなるもあるたびは、目もとまらぬ。されど藤の花に隱されたる程はをかしう、猶過ぎぬかたを見送らるるに、陪從のしなおくれたる、柳の下襲に、かざしの山吹おもなく見ゆれども、扇いと高くうちならして、「賀茂の社のゆふだすき」と歌ひたるは、いとをかし。
行幸になずらふるものは何かあらん。御輿に奉りたるを見參らせたるは、明暮御前に侍ひ、仕う奉る事もおぼえず、かうしういつくしう、常は何ともなきつかさ、ひめまうちぎみさへぞ、やんごとなう珍しう覺ゆる。御綱助、中少將などいとをかし。祭のかへさいみじうをかし。きのふは萬の事うるはしうて、一條の大路の廣う清らなるに、日の影もあつく、車にさし入りたるもまばゆければ、扇にて隱し、居なほりなどして、久しう待ちつるも見苦しう、汗などもあえしを、今日はいと疾く出でて、雲林院、知足院などのもとに立てる車ども、葵かつらもうちなえて見ゆ。日は出でたれど、空は猶うち曇りたるに、いかで聞かんと、目をさまし、起き居て待たるる杜鵑の、數多さへあるにやと聞ゆるまで、鳴きひびかせば、いみじうめでたしと思ふ程に、鶯の老いたる聲にて、かれに似せんとおぼしく、うち添へたるこそ、憎けれど又をかしけれ。いつしかと待つに、御社の方より、赤き衣など著たる者どもなど連れ立ちてくるを、「いかにぞ、事成りぬや」などいへば、「まだ無期」など答へて、御輿、腰輿など持てかへる。これに奉りておはしますらんもめでたく、けぢかく如何でさる下司などの侍ふにかとおそろし。はるかげにいふ程もなく歸らせ給ふ。葵より始めて、青朽葉どものいとをかしく見ゆるに、所の衆の青色白襲を、けしきばかり引きかけたるは、卯の花垣根ちかうおぼえて、杜鵑もかげに隱れぬべう覺ゆかし。昨日は車ひとつに數多乘りて、二藍の直衣、あるは狩衣など亂れ著て、簾取りおろし、物ぐるほしきまで見えし公達の、齋院の垣下にて、ひの裝束うるはしくて、今日は一人づつ、をさしく乘りたる後に、殿上童のせたるもをかし。わたりはてぬる後には、などかさしも惑ふらん。我もと、危くおそろしきまで、前に立たんと急ぐを、「かうな急ぎそ、のどやかに遣れ」と扇をさし出でて制すれど、聞きも入れねば、わりなくて、少し廣き所に強ひてとどめさせて立ちたるを、心もとなくにくしとぞ思ひたる、きほひかかる車どもを見やりてあるこそをかしけれ。少しよろしき程にやり過して、道の山里めきあはれなるに、うつ木垣根といふ物の、いと荒々しう、おどろかしげにさし出でたる枝どもなど多かるに、花はまだよくもひらけはてず、つぼみがちに見ゆるを折らせて、車のこなたかなたなどに插したるも、桂などの萎みたるが口惜しきに、をかしうおぼゆ。遠きほどは、えも通るまじう見ゆる行くさきを、近う行きもてゆけば、さしもあらざりつるこそをかしけれ。男の車の誰とも知らぬが、後に引きつづきてくるも、ただなるよりはをかしと見る程に、引き別るる所にて、「峯にわかるる」といひたるもをかし。
204
五月ばかり、山里にありく、いみじくをかし。澤水も實にただいと青く見えわたるに、うへはつれなく草生ひ茂りたるを、ながとただざまに行けば、下はえならざりける水の、深うはあらねど、人の歩むにつけて、とばしりあげたるいとをかし。左右にある垣の枝などのかかりて、車のやかたに入るも、急ぎてとらへて折らんと思ふに、ふとはづれて過ぎぬるも口惜し。蓬の車に押しひしがれたるが、輪のまひたちたるに、近うかがへたる香もいとをかし。
205
いみじう暑きころ、夕すずみといふ程の、物のさまなどおぼめかしきに、男車のさきおふはいふべき事にもあらず、ただの人も、後の簾あげて、二人も一人も乘りて、走らせて行くこそ、いと涼しげなれ。まして琵琶ひきならし、笛の音聞ゆるは、過ぎていぬるも口惜しくさやうなるほどに、牛の鞦の香の、怪しうかぎ知らぬさまなれど、うち嗅がれたるが、をかしきこそ物ぐるほしけれ。いと暗闇なるに、さきにともしたる松の煙の、かの車にかかれるもいとをかし。