251
せめておそろしきもの
夜鳴る神。近き隣に盗人の入りたる。わが住む所に入りたるは、唯物もおぼえねば、何とも知らず。
252
たのもしきもの
心地あしきころ、僧あまたして修法したる、思ふ人の心地あしきころ、眞にたのもしき人の言ひ慰めたのめたる。物おそろしき折の親どものかたはら。
253
いみじうしたてて壻取りたるに、いとほどなくすまぬ壻の、さるべき所などにて舅に逢ひたる、いとほしとや思ふらん。ある人の、いみじう時に逢ひたる人の壻になりて、一月もはか〴〵しうも來で止みにしかば、すべていみじう言ひ騒ぎ、乳母などやうの者は、まが〳〵しき事どもいふもあるに、そのかへる年の正月に藏人になりぬ。「あさましうかかるなからひに、いかでとこそ人は思ひたンめれ」など言ひあつかふは聞くらんかし。
六月に、人の八講し給ひし所に、人々集りて聞くに、この藏人になれる壻の、綾のうへの袴、蘇芳襲、黒半臂などいみじう鮮かにて、忘れにし人の車のとみのをに、半臂の緒ひきかけつばかりにて居たりしを、いかに見るらんと、車の人々も、知りたる限はいとほしがりしを、他人どもも、「つれなく居たりしものかな」など後にもいひき。なほ男は物のいとほしさ、人の思はんことは知らぬなンめり。
世の中に猶いと心憂きものは、人ににくまれんことこそあるべけれ。誰てふ物ぐるひか、われ人にさおもはれんとは思はん。されど自然に、宮づかへ所にも、親はらからの中にても、思はるるおもはれぬがあるぞ、いとわびしきや。よき人の御事は更なり、げすなどのほども、親などのかなしうする子は、目だち見たてられて、いたはしうこそおぼゆれ。見るかひあるはことわり、いかが思はざらんと覺ゆ。ことなることなきは、又これをかなしと思ふらんは、親なればぞかしとあはれなり。親にも君にも、すべてうちかたらふ人にも人に思はれんばかりめでたき事はあらじ。
男こそ猶いとありがたく、怪しき心地したるものはあれ。いと清げなる人をすてて、にくげなる人をもたるもあやしかし。おほやけ所に入りたちする男、家の子などは、あるが中に、よからんをこそは選りて思は給はめ。及ぶまじからん際をだに、めでたしと思はんを、死ぬばかりも思ひかくれかし。人のむすめ、まだ見ぬ人などをも、よしと聞くをこそは、いかでとも思ふなれ。かつ女の目にも、わろしと思ふをおもふは、いかなる事にかあらん。かたちいとよく、心もをかしき人の、手もよう書き、歌をもあはれに詠みておこせなどするを、返事はさかしらにうちするものから、寄りつかず、らうたげにうち泣きて居たるを、見捨てて往きなどするは、あさましうおほやけはらだちて、眷屬の心地も心憂く見ゆべけれど、身のうへにては、つゆ心ぐるしきを思ひ知らぬよ。よろづの事よりも、情ある事は、男はさらなり、女もこそめでたく覺ゆれ。なげの詞なれど、せちに心にふかく入らねど、いとほしき事をいとほしとも、あはれなるをば實にいかに思ふらんなどいひけるを傳へて聞きたるは、さし向ひていふよりもうれし。いかでこの人に、思ひ知りけりとも見えにしがなと、常にこそおぼゆれ。必思ふべき人、訪ふべき人は、さるべきことなれば、取りわかれしもせず。さもあるまじき人のさし答をも、心易くしたるは嬉しきわざなり。いと易き事なれど、更にえあらぬ事ぞかし。大かた心よき人の、實にかどなからぬは、男も女もありがたきことなンめり。又さる人も多かるべし。
人のうへいふを、腹立つ人こそ、いとわりなけれ。いかでかはあらん、我身をさし置きて、さばかりもどかしく、いはまほしきものやはある。されどけしからぬやうにもあり。又おのづから聞きつきて恨もぞする、あいなし。また思ひ放つまじきあたりは、いとほしなど思ひ解けば、念じていはぬをや。さだになくば、うち出で笑ひもしつべし。
312
人の顏に、とりわきてよしと見ゆる所は、度ごとに見れども、あなをかし、珍しとこそ覺ゆれ。繪など數多たび見れば、目もたたずかし。近う立てる屏風の繪などは、いとめでたけれども見もやられず。人の貌はをかしうこそあれ。にくげなる調度の中にも、一つよき所のまもらるるよ。みにくきもさこそはあらめと思ふこそわびしけれ。
254
うれしきもの
まだ見ぬ物語の多かる。又一つを見て、いみじうゆかしう覺ゆる物語の、二つ見つけたる。心おとりするやうもありかし。人のやり捨てたる文を見るに、同じつづき數多見つけたる。いかならんと夢を見て、恐しと胸つぶるるに、ことにもあらず合せなどしたる、いとうれし。よき人の御前に、人々數多侍ふ折に、昔ありける事にもあれ、今聞しめし、世にいひける事にもあれ、かたらせ給ふを、われに御覽じ合せてのたまはせ、いひきかせ給へる、いとうれし。遠き所は更なり、おなじ都の内ながら、身にやんごとなく思ふ人の惱むを聞きて、いかに〳〵と覺束なく歎くに、おこたりたる消息得たるもうれし。思ふ人の、人にも譽められ、やんごとなき人などの、口をしからぬものに思しのたまふものの折、もしは人と言ひかはしたる歌の聞えてほめられ、うちききなどに譽めらるる、みづからのうへには、まだ知らぬ事なれど、猶思ひやらるるよ。いたううち解けたらぬ人のいひたる古き事の知らぬを、聞き出でたるもうれし。後に物の中などにて、見つけたるはをかしう、唯これにこそありけれと、かのいひたりし人ぞをかしき。檀紙、白き色紙、ただのも、白う清きは得たるもうれし。恥しき人の、歌の本末問ひたるに、ふとおぼえたる、われながらうれし。常にはおぼゆる事も、又人の問ふには、清く忘れて止みぬる折ぞ多かる。頓に物もとむるに、見出でたる。只今見るべき文などを、もとめ失ひて、萬の物をかへす〴〵見たるに、捜し出でたる、いとうれし。物あはせ、何くれと挑むことに勝ちたる、いかでか嬉しからざらん。又いみじうわれはと思ひて、したりがほなる人はかり得たる。女どちよりも、男はまさりてうれし。これがたうは必せんずらんと、常に心づかひせらるるもをかしきに、いとつれなく、何とも思ひたらぬやうにて、たゆめ過すもをかし。にくき者のあしきめ見るも、罪は得らんと思ひながらうれし。指櫛むすばせて、をかしげなるも又うれし。思ふ人は、我身よりも勝りてうれし。御前に人々所もなく居たるに、今のぼりたれば、少し遠き柱のもとなどに居たるを、御覽じつけて、「こち來」と仰せられたれば、道あけて、近く召し入れたるこそ嬉しけれ。
255
御前に人々あまた、物仰せらるる序などにも、「世の中のはらだたしう、むつかしう、片時あるべき心地もせで、いづちも〳〵行きうせなばやと思ふに、ただの紙のいと白う清らなる、よき筆、白き色紙、檀紙など得つれば、かくても暫時ありぬべかりけりとなん覺え侍る。また高麗縁の疊の筵、青うこまかに、縁の紋あざやかに、黒う白う見えたる、引き廣げて見れば、何か猶さらに、この世はえおもひはなつまじと、命さへ惜しくなんなる」と申せば、「いみじくはかなき事も慰むなるかな。姥捨山の月は、いかなる人の見るにか」と笑はせ給ふ。さぶらふ人も、「いみじくやすき息災のいのりかな」といふ。さて後にほど經て、すずろなる事を思ひて、里にあるころ、めでたき紙を二十つつみに裹みて賜はせたり。仰事には、「疾く參れ」などのたまはせて、「これは聞しめし置きたる事ありしかばなん。わろかンめれば、壽命經もえ書くまじげにこそ」と仰せられたる、いとをかし。無下に思ひ忘れたりつることを、思しおかせ給へりけるは、猶ただ人にてだにをかし、ましておろかならぬ事にぞあるや。心も亂れて、啓すべきかたもなければ、ただ、
かけまくもかしこきかみのしるしには鶴のよはひになりぬべきかな
あまりにやと啓せさせ給へとてまゐらせつ。臺盤所の雜仕ぞ、御使には來たる。青き單衣などぞ取らせて。まことにこの紙を、草紙に作りてもてさわぐに、むつかしき事も紛るる心地して、をかしう心のうちもおぼゆ。二月ばかりありて、赤衣著たる男の、疊を持て來て「これ」といふ。「あれは誰そ、あらはなり」など物はしたなういへば、さし置きて往ぬ。「いづこよりぞ」と問はすれば、「まかりにけり」とて取り入れたれば、殊更に御座といふ疊のさまにて、高麗などいと清らなり。心の中にはさにやあらんと思へど、猶おぼつかなきに、人ども出しもとめさすれど、うせにけり。怪しがり笑へど、使のなければいふかひなし。所たがへなどならば、おのづからも又いひに來なん。宮のほとりに案内しに參らせまほしけれど、なほ誰すずろにさるわざはせん、仰事なめりといみじうをかし。二日ばかり音もせねば、うたがひもなく、左京の君の許に、「かかる事なんある。さる事やけしき見給ひし。忍びて有樣のたまひて、さる事見えずば、かく申したりとも、な漏し給ひそ」と言ひ遣りたるに、「いみじうかくさせ給ひし事なり。ゆめ〳〵まろが聞えたるとなく、後にも」とあれば、さればよと、思ひしもしるく、をかしくて、文かきて、又密に御前の高欄におかせしものは、惑ひしほどに、やがてかきおとして、御階のもとにおちにけり。



