枕草子: 026-030

26
乳母の男こそあれ、女はされど近くも寄らねばよし。男子をば、ただわが物にして、立ちそひ領じてうしろみ、いささかもこの御事に違ふものをば讒し、人をば人とも思ひたらず、怪しけれど、これがとがを心に任せていふ人もなければ、處得いみじきおももちして、事を行ひなどするよ。

小一條院をば、今内裏とぞいふ。おはします殿は清涼殿にて、その北なる殿におはします。西東はわたどのにて渡らせ給ふ。常に參うのぼらせ給ふ。おまへはつぼなれば、前栽などうゑ、笆ゆひていとをかし。二月十日の日の、うらとのどかに照りたるに、わたどのの西の廂にて、うへの御笛ふかせ給ふ。高遠の大貳、御笛の師にて物し給ふを、異笛ふたつして、高砂ををりかへし吹かせ給へば、猶いみじうめでたしと言ふもよのつねなり。御笛の師にて、そのことどもなど申し給ふ、いとめでたし。御簾のもとに集り出でて見奉るをりなどは、わが身に芹つみしなど覺ゆることこそなけれ。すけただは木工允にて藏人にはなりにたる。いみじう荒々しうあれば、殿上人女房は、あらわにとぞつけたるを、歌につくりて、「さうなしのぬし、尾張人の種にぞありける」とうたふは、尾張の兼時が女の腹なりけり。これを笛に吹かせ給ふを、添ひ侍ひて、「なほたかう吹かせおはしませ、え聞きさふらはじ」と申せば、「いかでか、さりとも聞き知りなん」とて密にのみ吹かせ給ふを、あなたより渡らせおはしまして、「このものなかりけり、只今こそふかめ」と仰せられて吹かせたまふ。いみじうをかし。
27
ふみことばなめき人こそ、いとどにくけれ。世をなのめに書きなしたる、詞のにくきこそ。さるまじき人のもとに、あまりかしこまりたるも、實にわろき事ぞ。されど我えたらんは理、人のもとなるさへにくくこそあれ。大かたさし向ひても、なめきは、などかく言ふらんとかたはらいたし。ましてよき人などをさ申す者は、さるはをこにていとにくし。男しうなどわろくいふ、いとわろし。わが使ふものなど、おはする、のたまふなどいひたる、いとにくし。ここもとに侍るといふ文字をあらせばやと聞くことこそ多かめれ。愛敬なくと、詞しなめきなどいへば、いはるる人も聞く人も笑ふ。かく覺ゆればにや、あまり嘲哢するなどいはるるまである人も、わろきなるべし。殿上人宰相などを、ただなのる名を、聊つつましげならずいふは、いとかたはなるを、げによくさいはず、女房の局なる人をさへ、あのおもと君などいへば、めづらかに嬉しと思ひて、譽むる事ぞいみじき。殿上人公達を、御前より外にては官をいふ。また御前にて物をいふとも、きこしめさんには、などてかは、まろがなどいはん。さいはざらんにくし。かくいはんに、わろかるべき事かは。
ことなる事なき男の、ひきいれ聲して艶だちたる。墨つかぬ硯。女房の物ゆかしうする。ただなるだに、いとしも思はしからぬ人の、にくげごとしたる。一人車に乘りて物見る男、いかなるものにかあらん、やんごとながらずとも、わかき男どもの物ゆかしう思ひたるなど、ひき乘せても見よかし。透影に唯一人かぐよひて、心一つにまもりゐたらんよ。
28
曉にかへる人の、昨夜おきし扇懷紙もとむとて、暗ければ、探りあてん、さぐりあてんと、たたきもわたし、「怪し」などうちいひもとめ出でて、そよと懷にさし入れて、扇ひきひろげて、ふたとうちつかひて、まかり申したる、にくしとは世の常、いと愛敬なし。おなじごと夜深く出づる人の 烏帽子の緒強くゆひたる、さしもかためずともありぬべし。やをらさながらさし入れたりとも、人のとがむべきことかは。いみじうしどけなう、かたくなし。直衣狩衣などゆがみたりとも、誰かは見知りて笑ひそしりもせん。とする人は、なほ曉のありさまこそ、をかしくもあるべけれ。わりなくしぶしぶに起きがたげなるを、強ひてそそのかし、「あけ過ぎぬ、あな見苦し」などいはれて、うちなげくけしきも、げにあかず物うきにしもあらんかしと覺ゆ。指貫なども居ながら著もやらず、まづさしよりて、夜ひと夜いひつることののこりを、女の耳にいひ入れ何わざすとなけれど、帶などをばゆふやうなりかし。格子あけ、妻戸ある處は、やがて諸共に出で行き、晝のほどのおぼつかなからん事なども、いひいでにすべり出でなんは、見送られて、名殘もをかしかりぬべし。なごりも出所あり。いときはやかに起きて、ひろめきたちて、指貫の腰強くひきゆひ、直衣、うへのきぬ、狩衣も袖かいまくり、よろづさし入れ、帶強くゆふ、にくし。開けて出でぬる所たてぬ人、いとにくし。
29
心ときめきするもの
雀のこがひ。兒あそばする所の前わたりたる。よき薫物たきて一人臥したる。唐鏡の少しくらき見たる。よき男の車とどめて物いひ案内せさせたる。頭洗ひ化粧じて、香にしみたる衣著たる。殊に見る人なき所にても、心のうちはなほをかし。待つ人などある夜、雨の脚、風の吹きゆるがすも、ふとぞおどろかるる。
30
すぎにしかたのこひしきもの
枯れたる葵。雛あそびの調度。二藍、葡萄染などのさいでの、おしへされて、草紙の中にありけるを見つけたる。また折からあはれなりし人の文、雨などの降りて徒然なる日さがし出でたる。去年のかはぼり。月のあかき夜。