106
中納言殿まゐらせ給ひて、御扇奉らせ給ふに、「隆家こそいみじき骨をえて侍れ。それをはらせて參らせんとするを、おぼろけの紙ははるまじければ、もとめ侍るなり」と申し給ふ。「いかやうなるにかある」と問ひ聞えさせ給へば、「すべていみじく侍る。さらにまだ見ぬ骨のさまなりとなん人々申す。まことにかばかりのは侍らざりつ」とことたかく申し給へば、「さて扇のにはあらで海月のなり」と聞ゆれば、「これは隆家がことにしてん」とて笑ひ給ふ。かやうの事こそ、かたはらいたき物のうちに入れつべけれど、人ごと「な落しそ」と侍ればいかがはせん。
107
雨のうちはへ降るころ、今日も降るに、御使にて式部丞信經まゐりたり。例の茵さし出したるを、常よりも遠く押し遣りてゐたれば、「あれは誰が料ぞ」といへば、笑ひて「かかる雨にのぼり侍らば足形つきて、いとふびんに汚なげになり侍りなん」といへば、「などせんぞくれうにこそはならめ」といふを、「これは御前にかしこう仰せらるるにはあらず、信經が足形の事を申さざらましかば、えの給はざらまし」とて、かへす〴〵いひしこそをかしかりしか。あまりなる御身ぼめかなと傍いたく。
「はやう皇太后宮に、ゑぬたきといひて名高き下仕なんありける。美濃守にてうせにける藤原時柄、藏人なりける時、下仕どもある所に立ち寄りて、これやこの高名のゑぬたき、などさも見えぬといひける返事に、それは時柄もさも見ゆる名なりといひたりけるなん、敵に選りてもいかでかさる事はあらん。殿上人上達部までも、興ある事にの給ひける。又さりけるなめりと、今までかくいひ傳ふるは」と聞えたり。「それ又時柄がいはせたるなり。すべて題出しがらなん、詩も歌もかしこき」といへば、「實にさる事あることなり。さらば題出さん、歌よみ給へ」といふに、「いとよき事、ひとつはなにせん、同じうは數多つかう奉らん」などいふほどに、御題は出でぬれば、「あなおそろし、まかりいでぬ」とて立ちぬ。「手もいみじう眞字も假字もあしう書くを、人も笑ひなどすれば、かくしてなんある」といふもをかし。
作物所の別當するころ、誰が許にやりけるにかあらん、物の繪やうやるとて、「これがやうにつかうまつるべし」と書きたる眞字のやう、文字の世に知らずあやしきを見つけて、それが傍に、「これがままにつかうまつらば、異樣にこそあるべけれ」とて、殿上にやりたれば、人々取りて見ていみじう笑ひけるに、大腹だちてこそうらみしか。
108
淑景舎春宮にまゐり給ふほどの事なンど、いかがはめでたからぬ事なし。正月十日にまゐり給ひて、宮の御方に御文などは繁う通へど、御對面などはなきを、二月十日、宮の御方に渡り給ふべき御消息あれば、常よりも御しつらひ心ことにみがきつくろひ、女房なども皆用意したり。夜半ばかりに渡らせ給ひしかば、いくばくもなくて明けぬ。登華殿の東の二間に御しつらひはしたり。翌朝いと疾く御格子まゐりわたして、あかつきに、殿、うへ、ひとつ御車にて參り給ひにけり。宮は御曹司の南に、四尺の屏風西東に隔てて、北向に立てて、御疊褥うち置きて、御火桶ばかりまゐりたり。御屏風の南御帳の前に、女房いと多くさぶらふ。こなたにて御髮などまゐるほど、「淑景舎は見奉りしや」と問はせ給へば、「まだいかでか。積善寺供養の日、御うしろをわづかに」と聞ゆれば、「その柱と屏風とのもとによりて、わがうしろより見よ。いとうつくしき君ぞ」との給はすれば、うれしくゆかしさまさりて、いつしかと思ふ。紅梅の固紋、浮紋の御衣どもに、紅のうちたる御衣、三重がうへに唯引き重ねて奉りたるに、「紅梅には濃き衣こそをかしけれ。今は紅梅は著でもありぬべし。されど萌黄などのにくければ。紅にはあはぬなり」との給はすれど、唯いとめでたく見えさせ給ふ。奉りたる御衣に、やがて御容のにほひ合せ給ふぞ、なほことよき人も、かくやおはしますらんとぞゆかしき。さてゐざり出でさせ給ひぬれば、やがて御屏風に添ひつきてのぞくを、「あしかンめり、うしろめたきわざ」と聞えごつ人々もいとをかし。御障子の廣うあきたれば、いとよく見ゆ。うへは白き御衣ども、紅のはりたる二つばかり、女房の裳なンめり。引きかけておくによりて、東面におはすれば、ただ御衣などぞ見ゆる淑景舎は北にすこしよりて南向におはす。紅梅どもあまた濃く薄くて、濃きあやの御衣、少しあかき蘇枋の織物の袿、萌黄の固紋のわかやかなる御衣奉りて、扇をつとさし隱し給へり。いといみじく、げにめでたく美しく見え給ふ。殿は薄色の直衣、萌黄の織物の御指貫、紅の御衣ども、御紐さして、廂の柱に後をあてて、こなたざまに向きておはします。めでたき御有樣どもを、うちゑみて、例の戲言をせさせ給ふ。淑景舎の、繪に書きたるやうに、美しげにてゐさせ給へるに、宮いとやすらかに、今すこしおとなびさせ給へる御けしきの、紅の御衣ににほひ合せ給ひて、なほ類はいかでかと見えさせ給ふ。御手水まゐる。かの御かたは宣耀殿、貞觀殿を通りて、童二人、下仕四人して持てまゐるめり。唐廂のこなたの廊にぞ、女房六人ばかりさぶらふ。狹しとて、かたへは御おくりして皆歸りにけり。櫻の汗衫、萌黄紅梅などいみじく、汗衫長く裾引きて、取り次ぎまゐらす、いとなまめかし。織物の唐衣どもこぼれ出でて、すけまさの馬頭のむすめ、小將の君、北野の三位の女、宰相の君などぞ近くはある。あなをかしと見るほどに、この御かたの御手水番の釆女、青末濃の唐衣、裙帶、領巾などして、おもてなどいと白くて、下仕など取り次ぎてまゐるほど、これはたおほやけしう唐めきてをかし。御膳のをりになりて、御髮あげまゐりて、藏人どもまかなひの髮あげてまゐらする程に、隔てたりつる屏風も押しあけつれば、垣間見の人、かくれ蓑とられたる心地して、あかずわびしければ、御簾と几帳との中にて、柱のもとよりぞ見奉る。衣の裾裳など、唐衣は皆御簾のそとに押し出されたれば、殿の、端のかたより御覽じ出して「誰そや、霞の間よりみゆるは」と咎めさせ給ふに、「少納言が、物ゆかしがりて侍るならん」と申させ給へば、「あなはづかし。かれはふるき得意を、いとにくげなる女ども持ちたりともこそ見侍れ」などのたまふ御けしき、いとしたり顏なり。あなたにも御膳まゐる。「羨しく、かた〴〵のは皆まゐりぬめり。疾くきこしめして、翁女におろしをだに給へ」など、ただ日ひと日、猿樂ことをし給ふ程に、大納言殿、三位中將、松君も將てまゐり給へり。殿いつしかと抱き取り給ひて、膝にすゑ給へる、いとうつくし。狹き縁に、所せき日の御裝束の下襲など引きちらされたり。大納言殿はもの〳〵しう清げに、中將殿はらう〳〵じう、いづれもめでたきを見奉るに、殿をばさるものにて、うへの御宿世こそめでたけれ。御圓座など聞え給へど、「陣につき侍らん」とて急ぎ立ち給ひぬ。しばしありて、式部の丞なにがしとかや、御使にまゐりたれば、御膳やどりの北によりたる間に、褥さし出でて居ゑたり。御かへりは今日は疾く出させ給ひつ。まだ褥も取り入れぬほどに、東宮の御使に、ちかよりの少將まゐりたり。御文とり入れて、渡殿は細き縁なれば、こなたの縁に褥さし出でたり。御文とり入れて、殿、うへ、宮など御覽じわたす。「御返はや」などあれど、頓にも聞え給はぬを、「某が見侍れば出で給はぬなンめり。さらぬをりは間もなくこれよりぞ聞え給ふなる」など申し給へば、御面はすこし赤みながら、少しうち微笑み給へる、いとめでたし。「疾く」などうへも聞え給へば、奧ざまに向きて書かせ給ふ。うへ近く寄り給ひて、もろともに書かせ奉り給へば、いとどつつましげなり。宮の御かたより、萌黄の織物の小袿袴おし出されたれば、三位中將かづけ給ふ。くるしげに思ひて立ちぬ。松君のをかしう物のたまふを、誰も〳〵うつくしがり聞え給ふ。「宮の御子たちとて引出でたらんに、わろくは侍らじかし」などの給はする。げになどか、今までさる事のとぞ心もとなき。未の時ばかりに、筵道まゐるといふ程もなく、うちそよめき入らせ給へば、宮もこなたに寄らせ給ひぬ。やがて御帳に入らせ給ひぬれば、女房南おもてにそよめき出でぬめり。廊に殿上人いと多かり。殿の御前に宮司召して菓子肴めさす。「人々醉はせ」などおほせらる。誠に皆ゑひて、女房と物いひかはすほど、かたみにをかしと思ひたり。日の入るほどに起きさせ給ひて、山井の大納言召し入れて、御うちぎまゐらせ給ひて、かへらせ給ふ。櫻の御直衣に、紅の御衣のゆふばえなども、かしこければとどめつ。山井の大納言は、いりたたぬ御兄にても、いとよくおはすかし。にほひやかなる方は、この大納言にもまさり給へるものを、世の人は、せちにいひおとし聞ゆるこそいとほしけれ。殿、大納言、山井の大納言、三位中將、藏人頭など皆さぶらひ給ふ。宮のぼらせ給ふべき御使にて、馬の内侍のすけ參り給へり。「今宵はえ」などしぶらせ給ふを、殿聞かせ給ひて、「いとあるまじき事、はやのぼらせ給へ」と申させ給ふに、また春宮の御使しきりにある程いとさわがし。御むかへに、女房、春宮のなども參りて、「疾く」とそそのかし聞ゆ。「まづさば、かの君わたし聞え給ひて」との給はすれば、「さりともいかでか」とあるを、「なほ見おくり聞えん」などの給はするほど、いとをかしうめでたし。「さらば遠きをさきに」とて、まづ淑景舎わたり給ひて、殿などかへらせ給ひてぞ、のぼらせ給ふ。道のほども、殿の御猿樂ことにいみじく笑ひて、ほとほとうちはしよりも落ちぬべし。
109
殿上より梅の花の皆散りたる枝を、「これはいかに」といひたるに、「唯はやく落ちにけり」と答へたれば、その詩を誦じて、黒戸に殿上人いと多く居たるを、うへの御前きかせおはしまして、「よろしき歌など詠みたらんよりも、かかる事はまさりたりかし。よういらへたり」と仰せらる。
110
二月のつごもり、風いたく吹きて、空いみじく黒きに、雪すこしうち降りたるほど、黒戸に主殿司きて、「かうしてさぶらふ」といへば、よりたるに、公任の君、宰相中將殿のとあるを見れば、ふところ紙に、ただ、
すこし春あるここちこそすれ
とあるは、實に今日のけしきにいとよくあひたるを、これがもとは、いかがつくべからんと思ひ煩ひぬ。「誰々か」と問へば、それ〳〵といふに、皆恥しき中に、宰相中將の御答をば、いかがことなしびにいひ出でんと、心ひとつに苦しきを、御前に御覽ぜさせんとすれども、うへのおはしまして、おほとのごもりたり。主殿司はとく〳〵といふ。實に遲くさへあらんはとりどころなければ、さばれとて、
そらさむみ花にまがへてちるゆきに
と、わななく〳〵書きてとらせて、いかが見たまふらんと思ふもわびし。これが事を聞かばやと思ふに、そしられたらば聞かじと覺ゆるを、俊賢の中將など、なほ内侍に申してなさんと定めたまひしとばかりぞ、兵衞佐中將にておはせしが語りたまひし。



