枕草子: 111-115

111
はるかなるもの
千日の精進はじむる日。半臂の緒ひねりはじむる日。陸奧國へゆく人の逢阪の關こゆるほど。うまれたる兒のおとなになるほど。大般若經御讀經一人して讀み始むる。十二年の山ごもりの始めてのぼる日。
113
方弘はいみじく人に笑はるるものかな。親などいかに聞くらん。供にありくものども、いと人々しきを呼びよせて、「何しにかかるものにはつかはるるぞ、いかが覺ゆる」など笑ふ。物いとよくするあたりにて、下襲の色、うへのきぬなども、人よりはよくて著たるを、「これは他人に著せばや」などいふに、實にぞ詞遣などのあやしき。里に宿直物とりにやるに、「男二人まかれ」といふに、「一人して取りにまかりなんものを」といふに、「あやしの男や、一人して二人の物をばいかで持つべきぞ。一升瓶に二升は入るや」といふを、なでふ事と知る人はなけれど、いみじう笑ふ。人の使のきて「御返事疾く」といふを、「あなにくの男や、竈に豆やくべたる。この殿上の墨筆は、何者の盗みかくしたるぞ。飯酒ならばこそ、ほしうして人の盗まめ」といふを、又わらふ。女院なやませ給ふとて、御使にまゐりて歸りたるに、「院の殿上人は誰々かありつる」と人の問へば、それかれなど四五人ばかりといふに、「又は」と問へば、「さてはいぬる人どもぞありつる」といふを、また笑ふも、又あやしき事にこそはあらめ。「人間に寄りきて、わが君こそまづ物きこえん。まづ人ののたまへる事ぞといへば、何事にかとて几帳のもとによりたれば、躯籠により給へといふに、五體ごめにとなんいひつる」といひて、また笑ふ。除目の中の夜、指油するに、燈臺のうちしきを踏みて立てるに、新しき油單なれば、つようとらへられにけり。さし歩みて歸れば、やがて燈臺はたふれぬ。襪はうちしきにつきてゆくに、まことに道こそ震動したりしか。頭つき給はぬほどは、殿上の臺盤に人もつかず。それに方弘は豆一盛を取りて、小障子のうしろにてやをら食ひければ、ひきあらはして笑はるる事ぞかぎりなきや。
114
關は
逢阪の關。須磨の關。鈴鹿の關。くきだの關。白川の關。衣の關。ただこえの關は、はばかりの關と、たとしへなくこそ覺ゆれ。よこばしりの關。清見が關。みるめの關。よしなよしなの關こそ、いかに思ひ返したるならんと、いと知らまほしけれ。それを勿來の關とはいふにやあらん。逢阪などをまで思ひ返したらば、佗しからんかし。足柄の關。
115
森は
大荒木の森。忍の森。こごひの森。木枯の森。信太の森。生田の森。うつきの森。きくだの森。いはせの森。立聞の森。常磐の森。くるべきの森。神南備の森。假寐の森。浮田の森。うへ木の森。石田の森。かうたての森といふが耳とどまるこそあやしけれ。森などいふべくもあらず、ただ一木あるを、何につけたるぞ。こひの森。木幡の森。